現時点の僕が幸せについて思うこと
ーはじめにー
「幸せってなんだろう?」というのはいつの時代も哲学の中心テーマであり、偉人達が議論を続けてきたテーマの一つです。幸せについて書かれた本を見ると幸せになるための方法について書かれた著書は数多くありますが、一方で「幸せとは何か」という根源的なテーマに触れているものはあまり見たことがありません。
僕は高校生の頃から「幸せって何だろう??どうすれば幸せになれるのだろう。」とひたすら考えていましたが、有効な手掛かりも無くいまだ手探りの状態です。
残念ながら「幸せとは何か?」についてはまだ分からないので、今回は「幸せになるための方法論」について書いた上で「幸せとは何か?」についても少しだけ書いていこうと思います。
ー人生の攻略本が欲しいー
僕はゲームの攻略本が大好きです。なぜ好きかというと「ゲームを一番効率の良い方法で進めている」感覚が堪らないからです。友達とマリオカートで対戦するとき、攻略本で知ったショートカットの道を使って勝つのが好きでした笑。
ゲーム同様、人生にも攻略本があれば良いなと真剣に思っており、幸せになるための具体的な方法が完璧に載っている本はないかと探した時期があります。
しかし、何冊か本を読んだりネットの記事を見ても残念ながら人生の攻略本にまでなり得るものはなかったので探すのは諦めました。
ー幸せになるための指針ー
攻略本をもう少し深掘りすると、「いくつかの選択肢の中で、最も正しい行動を選ぶための指針」 のことです。僕は今までこの指針を「一番幸せになれる行動は何か?」で考えていました。
しかし、そもそも幸せが何かが分からなかったので、この指針は全く役に立ちませんでした。指針にするにはもっとシンプルで分かりやすい必要があります。それこそ信号のように「赤なら止まる、青なら進む」くらいシンプルさが必要であり、「一番幸せになれる方法は何か?」などという難しい指針は役に立たないのです。
このことに気が付いてからこの指針にふさわしいものは何かないかと探していましたが、いくつかの選択肢から考えて「自分の考えに従う」というものに落ち着きました。(参考にした記事がありますので、リンクを貼っておきます。)
ーなぜ「自分の考えに従う」ことが有効な指針になるのか?ー
ここまで書いておいて申し訳ありませんが、自分の考えに従って失敗することも当然あります。
ですが、自分の考えというのは高い確率で自分を幸せに導いてくれるものだと思っています。人生には無数の選択肢がありますが、その選択肢が正しいかどうかは試してみないと分かりません。しかし、時間は有限なので試すことのできる選択肢は限られているのです。
それなら、自分のやりたいことや興味のある内容に沿った選択肢を試した方がいくらか成功率が高いと思います。また、自分の考えに従った結果上手くいかなかったとしても、その選択肢が間違っていたと知ることは人生にとって有益なはずです。
ー自分の考えに従って会社を辞めた結果ー
実は最近会社を辞めました。会社を辞めた理由は「自分の考えと行動が一致していなかったから」です。仕事に対する考えについてはまた改めて書こうと思いますが、とにかく会社でやっていることと自分の考えがあまりにも異なっていたのです。
会社での仕事はそこまでのストレスでは無かったのですが、自分の考えと全く違うことをしていることにかなりのストレスを感じており、そのストレスから逃げるように退職をしました。
結果、今は以前よりも生き生きとしているので、自分の考えに従って良かったと思っています。
ー幸せの分類についてー
幸せには以下の2種類があります。
①「幸せになるための手段」としての幸せ
②幸せそれ自体
例えば、お金をたくさん持っていることは幸せの一つですが、お金は物やサービスに変換して初めて意味をなすもので①に該当します。一方、美味しいご飯を食べることはそれ自体が幸せなので②に該当します。
ー「自分の考えに従う」ことは幸せの手段か?ー
では、「自分の考えに従う」ことはどちらに該当するのでしょうか?
人生の指針として「自分の考えに従う」という考え方を使用することは「手段としての幸せ」ですが、「自分の考えに従う」こと自体に快感があれば、それは手段ではなく幸せそのものです。
僕自身は、自分の考えと行動が一致している状態は、ある種の快感であると思っています。自分の考えと行動が一致していると不思議と身体の底からエネルギーが湧いてきますし、辛いことがあっても楽しいと感じる気がします。
ー大きい肉を食べることが幸せか?ー
現在、福岡市内のシェアハウスに暮らしているのですが、フランス人のルームメートからこんなことを言われました。
「フランス人は大きい肉を食べることが幸せだと思っている。大きい肉を食べればハッピー。大きな車を買えばハッピー。大きな家に住めばハッピー。でも日本人そんな風に考えていないよね。」
この考え方は「快楽説」と呼ばれる考え方なのですが、彼が伝えたかったのは、「大きな肉を食べることは一瞬の快楽であるが、人生を幸せにする要素ではない」ということです。
大きな肉に限らず、高価な服も、名誉も、容姿に優れたパートナーも、あらゆる外的要素が人生を幸せにする要素になり得ないと僕は考えています。(この考え方は賛否両論あると思いますので、是非ご意見を頂きたいです。)
ー幸せは思考に宿るー
では何が幸せって結局なんだという話になりますが、僕は「幸せは思考に宿る」と考えています。
服やあらゆる外的要素に恵まれている人は一見幸せに見えますが、結局のところ当人がどう考えるのかによって大きく左右されます。様々な経験を通して自分の心を育てた結果、そこから得られる知見にこそ幸せが宿っていると思うわけです。
僕は自分の人生を通して得られた「自分の考えに従う」という思考に価値を感じていますし、自分の考えに従うことで得られる知見はきっと自分の血肉となり幸せに繋がると思っています。
ー最後にー
ここまで偉そうに文章を書きましたが、僕自身は社会に出て早々に離脱しただけの未熟な人間ですしあまり説得力はないんだろうなと自覚しています。
ですが、自分の考えに従って会社を辞めた結果はっきりと人生が進んだ感覚があったので、自分の体験談をベースにした主張でも何らかの参考にはなるのではと考え思い切って文章にしてみました。
自己満足な文章になってしましましたがここまで読んで頂きありがとうございます。